あ、タイトルに誤りあり。訂正は後ほど。
TRPGを一席設ければ、そこに関わるゲームマスター・プレイヤー共々、何かを説明・・・描写する必要があります。
TRPGのシチュの上で、銃弾1発撃つだけでも、
「一発撃ちます」と、サラッと流す方も、
「セフティを解除、ターゲットはこっちに気がついてないので、銃を両手でホールド。情報を聞き出さないといけないので、足を狙って・・・撃つ!」
とまぁ、状況と自分の行動をある程度詳しく説明しロールプレイ知る諸兄もいます。
このとき、銃撃戦をそれっぽく見せる言葉についてくる単語、それこそが「リアリティ」というところでしょうか?
リアリティ、意味はいまさらいうのもなんですが、まさしく「本物風味」というところでしょうか?
えぇ、TRPGの一席中、リアリティを持った描写ができるということは、「使える技」を持っているということです。
ないよりあるほうがいいといったレベルではなく、むしろ全力で習得しろといわれるほど重要でないかい?
あ〜でもこれ、言葉遊び一つでとても残念なことに。
先ほど「リアリティ」の説明を「本物風味」としましたが、本物「風味」ってことは、絶対本物にはなり得ない。そういうことで、ないかい?
え?なんのことって?
例えばうどん屋さん。そこにあるセールストークの一つにある、「手打ち風うどん」
その手打ち風うどんが、いかに本当の手打ちうどんの味・風味に近くても、いや、手打ちうどんを超えた味・風味だとしても、手打ちで作られていない限り、
手打ち風うどん=手打ちうどん
とはならないのです。
美味しければどうでもいい、とか言うなよ。言葉の意味を正確に掴むために出した、例え話なんだからな。
なんだかリアリティという言葉が、本物に近づくための努力をしていながら、決して本物になれない技術のようでちょっと悲しいのですが・・・。
今までの論調を手のひら返しで異議申し立て。
実はもっと業の深い役割をリアリティというやつは握っているのです。
リアリティというやつが、目の前のフィクションを本物らしく見せる技術という点はいいですね。
TRPGの技術が嘘っぽく薄いのと、リアリティと奥行きがあるのとでは、何が違うでしょう?
答えは簡単。リアリティのあるほうがのめり込めるということです。
そらそうでしょう、例えば目の前に危険があるというフィクション、それが嘘と全面的にわかっているなら危機感0、むしろ面白がっていいところです。
そして目の前の危険が本物と思えれば、それ相応に危機感を覚え身構えるもの。
つまりリアリティはTRPGというフィクション(嘘)に対し、本物という錯覚を覚えさせ、それ相応に対処したくなるように思わされるのです。
リアリティのある描写は、本物でなくても本物を感じさせ、人はそこに引き込まれる。
まではいいお話なのですが、
フィクションという嘘を本物に錯覚させるこの作用、そんなことを可能にするリアリティというこやつ、当方の頭の中に出てきた定義がこう、「幻覚剤」
ま〜ね〜、「嘘は嘘、本物は本物」と、普通は線引きをするものです。
それでも、リアリティってやつが介入したとたん、理性は嘘を維持しながら、感情感覚が本物と思わされる。
この自己分裂的な状況、たちの悪い幻覚剤でも決めたのと同じなんじゃないかと思うのは、それこそタチの悪い視点だろうか?
蛇足ではありますが、あのタイトル、正しくは、
「リアリティの末端価格」
となります。
いえね、幻覚剤ですから、あれ。それも強力(かも知れ
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