TRPGではあまり使われてないようですが、フィクション現実問わず、呪と言う物が存在します。呪そのものは、某古本屋兼業神主の物語に譲るとして、今回は祝と対をなす呪を、TRPGを含むゲーム的あれこれでヨタってみましょう。
呪でも祝でも、その作用が何かと言われると、ここは敢えてゲーム的に解釈すると、ステータスを変化させるということでしょう。能力値を上下させることから、様様な条件を付加することまで。
そうですねぇ、さらにゲーム的な説明をすると、祝が猫に好かれる存在(そういうステータス)となるのなら、呪は猫に恐怖するという精神状態に置かれる。と言うことになるのでしょう。
え、まぁ、ここまでは呪祝を受ける側のお話しでしたが、付与する・授ける側のお話しを少々。
ふとした思いつきで悪いのですが、呪う祝う側の特徴的な違いって何なんでしょう?
そりゃもう、人数の違いでしょう。
いえいえ、よく考えてください。
牛の刻参りで有名なワラの塊釘打ち作業ですが、アレは決して人に見られてはいけないそうです。
ま、多少の例外はあるのでしょうけど、何かを呪おうとするとき、単独行動で行うべき何でしょう。
呪の行為者は、個人っと。
反面祝いですが、アレは集団行動がメインといえます。
祝の行動そのものを漢字で表すと、「祭」や「式」なんて文字になると思うのです。
日本ではその土地土地の神様仏様に豊穣や安全を祈願しますが、これこそステータスを良くしようとみんなでお祭りするのです。
神や霊を祝うばかりでなく、人を祝うのも多くに人が関わります。
結婚式に入学式、七五三もそう、葬式だって故人に「安らかな眠りを」とのステータスを付加する祝と見て取れます。
そう、祝は人の集団が行うこと。
さて、TRPGやそのほかのゲームには、ブレッシングや祝福なんて術があり、それを行使するキャラクターもいます。
ここまで書くと、何となくわかる方もいるでしょう。
ブレス1発戦士にかけて、
「能力アップしといたから、死ぬまで戦え」
なんて思ったり思われたり、なんてことがないよう祈ります。
今までの妄言が仮に正しいなら、祝うことがなんだかイヤンな行動に見えてくるかな?ひとりでナムナムやって人のステータスを変えるなんて、呪いですよ、呪い。
と言うことで、人を祝福し能力値を上昇させ、なおかつ祝福を受けた本人に祝福を受けたと自覚させるには、それ相応の人数が必要と。たかだかパーティと呼ばれる4〜5人の人員では無理のようです。
さて、TRPGで呪と言えば、そういった得体の知れない意志の通った装備、つまり呪の武器なんかですが、よくあるのが、一度手にするとちょっとやそっとでは手放すことが出来ず、ステータスがダダ下がりするというやっかいな代物でした。多分D&Dなどのゲームマスターのサド心を結構刺激したのでしょう。
でーすーがー
この呪というヤツをキャラ立てに引きずって貰おうとあがいたTRPGが記憶に一つ。ブレイドオブアルカナでしょうか。
そうです、特殊因果律として、祝と呪とサイドストーリをセットにして、キャラクターを造る際のデータにしてしまえっと。
一見キャラ立ての御便利データに見えるのですが、妙な違和感を感じるのです。
一つは、祝と呪を1セットにしている点。まるで呪を受け取らせるため祝を前面に押し出し、呪われた状況で困った途端、「ダマされてやんの」と、詐欺まがいのやり方をしている気がするんですけど。祝って、餌ですね、餌。
これはブレカナに限った見方なんですが、この特殊因果律というヤ
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