今更神の実在を論じても、どうのしようも無し。
私見ではありますが、学問の世界では神があって欲しい、または神の存在が前提になっている分野もあるようです。
例えば民俗学、社会科学や確率の研究なんかも神が居て欲しいところと思います。
神が居て欲しきなさそうなのは、自然科学と数学の世界でしょうか?神様との相性の悪さは、歴史が示すとおり。
神や宗教と科学の相性を示す最も有名な事件と言えば、ガリレオガリレイさんと、当時のキリスト教徒のあれこれ。「それでも地球は動いている」と言ったか言わないか。
少々以前の駄文にて、神様仏様は、人間文明の被造物であり、神様の役割が天地創造であることを云々と書きました。そこから予想できることは、神様を作った人こそ、世界創造の筋書きを書きたかったと、そう見えてくるのです。
えぇ、人は神様を媒体にして、世界創造をしたつもりになりたい、そう思いたいんです。
そうこうしていると、旧来の偶像担いだ宗教は、科学ってポッと出の宗教もどきに足をすくわれそうになります。
そら旧来の宗教は、えらく焦ったことでしょう。神による天地創造は、科学的根拠というヤツに少しずつ駆逐されていくんですから。
このことが何を示すか。その一つは、「世界の構造」を人の想像だけで確定しようとすると、大概破綻してないかい?な〜んて思うわけなんです。
そう、世界が7日で作られたのも、世界の土台を亀と象が支えているのも、人の考え概念で作られたこと。それがことごとく没になってゆく。イヤになります。
ここで、先ほどの天才科学者と昔々の宗教論争を、別の形で蒸し返してみましょう。
現在世界の有り様を科学的に解明しようとする学問の一つに、量子力学って分野があります。量子力学が示した可能性の一つが、平行世界、パラレルワールド、そう、無限に広がる「もしも」の、世界。
非常にユニークな概念です。様様なフィクションに使われたこの概念ですが、何か引っかかってきませんか?
平行世界は、量子力学という概念が考え出した世界の形、と、見ることは出来ないかな?
量子力学から作られた世界の形と、宗教の示す世界のそれ、どちらも人の概念だけで作られた世界ではないか?
最新の量子力学示した世界の形は、実証は無理とその量子力学が示している。確かめるすべのない仮定の、何を信じる?
でも、宗教が示した世界の形は否定しても、最近の科学が示した世界の形はみんな信じるんだろうなぁ。
それでも、人の思考ごときが作り出した程度の結論を、自然と言うヤツはあざ笑うように追い越していく。
どれもこれも、隣の平行世界をちょいと眺めることが出来れば、事情はマシになるんだろうけど。
しかし、しかしながら、人の知性が干渉しながらも、平行世界の姿を垣間見せる現象が、TRPGに発生すると思うのです。
TRPGが掲げるお題目の一つ「同じシステム。同じシナリオをプレイしても、全く異なるプレイ内容になる」
そう、同じスタート位置から始まる世界が、その時間を進めるだけで、異なる世界に変貌してゆく。
同一システム、同一シナリオ、同一プレイヤーが二度プレイを行ったとして、2回のプレイが2回とも全く同じダイス目を出すことはあり得ない。それ以前にその2回のプレイにおいて、話す言葉は全く同じになるとは考えられない。
世界が「もしも」の数だけ枝分かれ分岐すると言われても、膨大なイメージをどう自己の中で消化する?概念がわかった気になるだけで、どこまで理解できているかは、それこそ神のみぞ知るところ。
それよりもTRPGを
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