こう言うと疑いを持つ人がいるでしょうけど、この文章を書いている人間は、TRPGのキャラクターを作るときにはさほど強いキャラクターを作ることができません。まぁ、イメージ先行の見本のようなプレイスタイルなので、そのあたりは自覚済。
その分情報をどうこうするというやりとりについては、少々調子に乗りすぎる傾向があり、TRPGの楽しみをそこに求めているところがあります。
それにしても先日、情報をどうこうするという場面において考えさせられることがあったので、それをつらつら書いてみましょう。TRPGにおいて情報という物は、収集分析し、後の行動の指標にするだけの物なのか?という疑問です。
例とよくある特撮ヒーロー物のストーリーを情報という点から見て見ましょう。
まず、
・悪の組織が絡んでいる何らかの怪異が発生する。
・その怪異について調べる。
・怪異の原因を突き止め、排除する。(大概がその話の怪人の排除ですが(笑))
これをTRPGでやったとしてこの流れのままに進んだなら、そのシナリオはそつなく進んで、
「いいセッションでした」
で終わる所なんですが、これでは少々物足りないと、この文章を書いている人間は思ってしまうわけです。
話は変わって、このところ話題の「零2つのガンダム」ですが、この文章を書いている人間的に見れば、プレイヤーがガンダムの側の人とすれば、世界はそのガンダム運用組織(=プレイヤー)にいいように操られた。と思っているのです。
例えば、あのガンダムを運用しているのがTRPGにおけるプレイヤーだとすれば、彼らの行ったことは、情報を自ら作り出し世界の行動方針を決めさせた。そう見えるはずです。
彼らの行ったことを、ピックアップすれば、
・全世界の武力紛争に武力介入を行い、紛争を根絶すると言って、全世界に存在を知らしめた。
・武力介入を行うことで、世界の世論から憎悪を向けられるよう仕向けた。
・自らの存在の消滅をきっかけにして、世界の統一へと世界の方向を変えた。
普段ゲームマスターが良いようにやっていることを、プレイヤーの側からやってしまった。
そう見るのは私だけでしょうか?
そう、情報そのものの扱いは、これまでなら自らの行動方針を決めるという受動的な要素であった物が、プレイヤーそのものが情報の発信源となり、周囲の環境を著しく変化させてしまった。そういう能動的な使い方が出来るのではないのか?そう思うのです。
某TRPGには情報そのものを武器とする概念があるそうですが、あなたが体を張って戦った結果すら情報操作の材料にされるといった意味を持つと思うのです。
わかりませんか?
赤穂浪士はただのテロリストですか?
源義経は、ただの敗軍の将ですか?
今日あなたが戦うはずのNPCは、戦って良い相手ですか?
情報はただ事実の1断面に過ぎません。そこの何ら意味はないのが本来の姿だと思います。
しかしその情報を得た人間がその情報の判断基準を操作するべくバイアス(傾きや圧力のような意味)をかけなければ、情報を発信する意味がないと思うのです。
そう、これをTRPGにおいてプレイヤーの側から、仕掛けてみたい、そう思うのです。
もしかすると、プレイヤー側から情報操作の対策をしていないと、いつものようにTRPGのクライマックスにおいて、BOSSと闘いそれに勝利したは良いが、プレイヤーのが得るべき真逆の評価として、その結果世界全体から敵意を向けられることとなり、そういうしょっぱい結果となった。そんなことが起こることかも知れません。
非常、いえ、こ
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